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大阪地方裁判所 昭和58年(ワ)7613号 判決

原告

甲野太郎

右法定代理人親権者父

甲野一夫

同母

甲野カズ子

原告

甲野一夫

原告

甲野カズ子

右三名訴訟代理人

米田実

辻武司

松川雅典

四宮章夫

田中等

田積司

被告

乙野二郎

右法定代理人親権者父

乙野孝夫

同母

乙野ヨシ子

被告

乙野孝夫

被告

乙野ヨシ子

右三名訴訟代理人

平松耕吉

主文

一  被告乙野二郎は、原告甲野太郎に対し、金二四二七万二六五六円及びこれに対する昭和五八年五月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告甲野太郎のその余の各請求及びその余の原告らの各請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用中、原告甲野太郎と被告乙野二郎との間に生じたものはこれを三分し、その一を同原告の、その余を同被告の各負担との間に生じたものは同原告の負担とし、同原告とその余の被告らとし、その余の原告らと被告らとの間に生じたものは同原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一請求原因1の事実は各当事者間に争いがない。

二本件事故の発生について

〈証拠〉に、前記争いのない事実を総合すると、以下の事実が認められ〈る。〉

1  原告太郎は、昭和四四年九月九日生まれで、当時、兵庫○○大学学校教育学部付属中学二年三組に在学し、家族は、父原告一夫、母原告カズ子、妹の四人家族で、クラスでは美化部長をしており、クラブはテニス部に所属していた。

被告二郎は、昭和四四年九月六日生まれで、同中学二年一組に在学し、家族は父被告孝夫、母被告ヨシ子以下七人家族で、クラブは卓球部に所属していた。

原告太郎と被告二郎は、中学一年の時同じクラスとなり、お互いの家に行き来して一緒にマイコンで遊んだり、自転車で遠出をしたりして仲が良かつた。

2  被告二郎は、中学一年の中頃からプロレスが好きになり、テレビ等で五種類位のプロレスの技を覚え、五歳年下の弟に技を掛けたこともあるものの自宅ではあまり技を掛けことはなかつたが、中学校では同クラスの生徒の藤岡らの他原告太郎に対して、冗談半分で、休み時間等に教室の後方で、時には週に二、三回位プロレス技を掛けていた(以下「プロレス行為」ともいう)。これに対し、原告太郎は、口で「止めとけ。」位言うことはあつても、特に抵抗することはほとんどせず、むしろ、被告二郎に技を掛けさせてやつていた。被告二郎は、プロレス行為につき、先生から一度注意されたこともあつた。

他方、被告二郎が他人から技を掛けられるということはなく、専ら自分の方から掛けていた。

3  昭和五八年五月一三日午前一〇時三五分から四五分までの休み時間に、原告太郎が三時間目の体育の授業のために、校舎二階の渡り廊下の端にあるロッカーに体操服を取りに行こうとしていた(この事実は当事者間に争いがない)ところ、同じく体操服を取りに行こうとしていた被告二郎と会い、二人で並んで渡り廊下を歩き始めたが、渡り廊下の真中辺りまで来たとき、被告二郎がいつもの様に冗談半分でプロレス技を掛けた。右技は、被告二郎の知つている五種類の技の一つである、被告二郎の左手が原告太郎の顎に掛かり、被告二郎の右手が原告太郎の腰を支え、腰をかがめた同被告の背中に同原告の身体が仰向きに乗せられたまま、ぐるぐると何回か回されるもの(以下「本件プロレス技」という)であつた。同原告は、それ以前にも同被告から本件プロレス技と同じ技をかけられたことが四回位あつたが、その際は、最後に足からゆつくり降ろして立たせてくれ、同原告もこれに協力して、安全に立つことができていた。

4  原告太郎は、本件プロレス技が掛けられた(以下「本件プロレス行為」ともいう)ときも抵抗することはしなかつた。しかし、同原告の身体が同被告の背中で二、三回、回されたとき、同原告は、同被告の左手により首を締めつけられたために気を失つたものであるが、同被告はそのことに気付かず、いつもの様に同原告を足から降ろしたため、気を失つていた同原告はそのままうつ伏せに倒れ、渡り廊下の硬いPタイルの表面に右目付近を強打した。しかし、同被告は当初同原告が冗談で倒れたものと思つていた。

5  原告太郎は、気がついた時には、二年一組の担任の河島教諭が同原告の上半身を抱き起しており、一、二分廊下の椅子で休んだ後、保健室まで歩いて行き、保健室のベッドで五、六分寝ていた。その後、病院へ行くために立ち上つた時、吐き気がして朝食とともに血を吐き、その後二〇分位車に乗つて丸野外科医院に運ぼれたが、その車の中でも、二、三回胃液や血を吐いた。丸野外科では、レントゲンを撮り、右目を診察してもらつたが、同原告は診察後も血を吐き、当日の晩は同医院で泊り、翌一四日に西脇市民病院で診察を受け、夕方から晩にかけて目の手術を受け、同月二六日まで入院した。その後、岡山大学医学部附属病院に診察してもらいに行つたり、西脇市民病院に二、三回通院したこともあつたが、結局、同原告は、右外傷性視神経損傷(視神経萎縮)により、右眼を失明し、左眼も本件事故前には裸眼で1ないし1.5あつた視力が、本件事故により0.6にまで低下した。

6  右後遺症により、原告太郎は、学校の体育の授業ではボール競技ができず、それ以外の体育のみ参加するに至つているし、本を読む等目を使つた後は、よく目が疲れたり肩がこつたりするようになつた。

三被告二郎の過失について

前記認定事実によれば、被告二郎は満一三歳八ヵ月の中学二年生であるから、行為の責任を弁識する能力を有することは明らかである。また、レスリングは、激しい運動を伴なうものであつて、互いに身体を鍛え技を習得したうえで然るべき場所で行なうべきものであり、そうでない者同志が不適切な場所でこれを行なうことは危険なことであり、場合によつては身体・生命にも危険を及ぼすことがあることは同被告においても十分に理解できたところであると解される。従つて、同被告が、危険性のある本件プロレス技を硬いPタイル敷きの渡り廊下で不適切な掛け方で掛けたことにより本件事故を発生させたについては、同被告に過失があるといわざるをえない。〈反証排斥略〉。

ところで、被告らは、原告太郎は、被告二郎が背中から下した直後に突然貧血を起こして転倒するに至つたため本件事故が発生したもので、被告二郎において予測可能性がなかつたと主張するので、検討するに、〈証拠〉によれば、原告太郎は本件事故当時まで学校の健康診断や主治医の診察の際病気の指摘を受けたことはなく、テニス部に加入してテニスをよくやつており、また、中学一年生のころには五キロのマラソンレースや校内マラソンに参加して良い成績をおさめていること、中学二年の新学期初日の朝礼で一度気分が悪くなつたことがあつたが、他にはなく、右朝礼の時も貧血を起したわけではなかつたこと、原告太郎は本件事故の前日夜更かしをしたわけでもなく十分睡眠をとつていたことが認められ、〈反証排斥略〉、更に本件事故は二時間目の授業が終つた午前一〇時三五分から四五分までの間のことであるところからみれば、原告太郎が転倒したのが貧血によるものとはいえず、これを前提とする被告らの前記主張は理由がない。

四被告らの抗弁1について

被告らは、本件事故は親しい友人同志のふざけ合い、遊戯行為による事故であると主張するところ、前記認定によれば、原告太郎と被告二郎は同年生の親しい友人同志で、これまで同被告が同原告に冗談半分で何度もプロレス技を掛けてもほとんど抵抗せず、むしろ、技を掛けさせてやつていたものではあるが、同原告の方から同被告に技を掛けることはなく常に同被告の一方的行為であつたことからすれば、本件プロレス行為を目して、違法性の阻却されるような、相互的行為たるふざけ合い、遊戯行為とはいい難く、被告らの右主張は理由がない。

五よつて、被告二郎は民法七〇九条の不法行為責任を免れず、本件事故により原告太郎に生じた損害を賠償する義務がある。

六被告孝夫及び同ヨシ子の過失について

〈証拠〉を総合すれば、

1  被告二郎は、会社員である同孝夫及びその妻同ヨシ子の長男であり、下に弟妹が各一人おり、七人家族であること

2  同二郎は、背は高く、学校のクラブ活動では卓球部に属していたが体育は得意ではなく、中学一年生までは五歳年下の弟とけんかもしたが、同二年生になつてからはそのようなこともなく、弟にプロレス技を掛けることもあまりなく、これまで弟妹や友人等に負傷をさせたことはなく、補導歴もないとみられること

3  被告孝夫及び同ヨシ子は、同二郎ら子供達と一緒に買物やレジャーに行つたり、キャッチボールや腕相撲をやる等して子供達とのスキンシップを保つことに留意していたこと

4  被告二郎は、野球中継のない冬場にはよくテレビのプロレス番組を見ていたが、被告孝夫は被告二郎に対し「プロレスはショウである。」と説明したことがあること

5  被告二郎の学校における同年生に対するプロレス行為については、学校との間の連絡表にもその旨の記載はなく、学校からの呼出し等もなかつたこと

が認められ、右認定に反する証拠はない。

右認定事実に前記認定事実を併せ考えると、被告孝夫や同ヨシ子は、同二郎に対して格別放任していたわけではなく、また、同被告の性格、素行、従前の生活態度等に照せば、同被告が学校で親しい同年生に対し冗談半分でプロレス技を掛けていることに気付かなかつたとしても、同被告に対して保護者としてなすべき監督義務を怠つていたとまでいうことはできない。

よつて、被告孝夫及び同ヨシ子には民法七〇九条の責任はない。

七本件事故に因る原告太郎の損害

1  治療費

前記認定事実のほか、〈証拠〉によれば、原告太郎の治療費は一六万九九〇〇円であつたことが認められる。

2  交通費

前記認定事実のほか、〈証拠〉によれば、原告太郎の入、通院のための交通費及び後記付添い看護のための交通費(西脇市民病院へはバスの便が悪くタクシーを利用するしかなかつた)合計六万三九八〇円を認めることができる。

3  付添い看護費

前記認定事実及び〈証拠〉を総合すれば、原告太郎の一四日の入院期間中、母の原告カズ子が付添つたことが認められるところ、付添費としては一日当り三五〇〇円が相当であるから、結局四万九〇〇〇円が損害と認められる。

4  諸雑費

入院諸雑費としては、一日当り一〇〇〇円合計一万四〇〇〇円が相当と認められる。

5  逸失利益

前記認定のとおり原告太郎は、本件事故当時満一三歳の男子であつて、同原告本人の供述によれば同原告は少なくとも高校卒業後就職し稼働を開始したい意向を有することが認められ、六七歳に達するまで十分稼働しうるものと考えられる。

そして、〈証拠〉によれば、同原告の受傷した昭和五八年度の賃金センサス第一巻第一表の産業計、企業規模計、男子労働者学歴計の年令別年間合計額の一八歳の項の賃金の年額は、一七一万〇一〇〇円であることが明らかである。

そして、前記認定によれば、同原告の後遺症は、自動車損害賠償保障法施行令第二条別表の後遺障害等級第七級に該当するものと考えられ、労災補償の実務のための通達(労働基準監督局長通牒昭和三二年七月二日基発第五五一号)によれば、労働能力喪失率は一〇〇分の五六である。

そこで、同原告の後遺症による逸失利益を年別ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して本件事故当時の現価を算定すると二〇五三万三三八九円となるが、主張どおり一九九一万六八七三円の限度でこれを認めることとする。

1,710,100×0.56×(25.8056−43643)=20,533,389

6  慰謝料

(一)  傷害慰謝料

原告太郎が本件事故により多大の精神的、肉体的苦痛を受けたことは先に認定した事故の内容からして明らかであるところ、同原告の年齢、入通院の期間、負傷の程度等すでに認定した諸事情に前記認定の、本件は中学の親しい同年生間の冗談半分の行為から発生した過失事故である事情を総合考慮すると、同原告は傷害慰謝料として一五万円の支払を受けるのが相当である。

(二)  後遺症による慰謝料

原告太郎の本件事故による後遺症が前記後遺障害等級第七級に該当することは前記認定のとおりであり、右障害の将来の生活に与える影響のほか、前記認定の、本件は中学の親しい同年生間の冗談半分の行為から発生した過失事故である事情を考慮すると後遺症による慰謝料としては五〇〇万円が相当である。

(三)  よつて、慰謝料として、同原告は合計五一五万円の支払を受けるのが相当である。

7  以上1ないし6の合計二五三六万三七五三円が、本件事故に因る弁護土費用を除く原告太郎の損害ということになる。

八抗弁2の事実は当事者間に争いがない。よつて合計金三〇九万一〇九七円の限度において、原告太郎の被つた前記損害は補填されたものというべきである。

九以上により、原告太郎の損害賠償請求権は二二二七万二六五六円となるところ、同原告が本件原告ら訴訟代理人弁護士に依頼して本訴提起、追行にあたつたことは本件訴訟記録上明らかであり、本件事故の性質、態様、審理の経過、認容額等を考え合わせると、同原告の弁護士費用による損害中二〇〇万円を本件事故と相当因果関係のある損害とするのが相当である(なお、右二〇〇万円の金額についてはその支払時までの間の中間利息の不当利得が生じないよう配慮して算定した。)。

一〇なお、原告太郎のほか、原告一夫及び同カズ子も慰謝料及び弁護士費用の主張をしているが、被害者の近親者が慰謝料請求権を取得するのは、被害者が死亡した時及び死亡した時にも比肩しうべき精神上の苦痛を受けたと認められる時に限られるところ、前記認定によれば、本件においては未だ右原告らにおいて原告太郎が死亡した時にも比肩しうべき精神上の苦痛を受けたとはいえないので、右原告らの主張はすべて理由がない。

〈以下、省略〉

(古川正孝)

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